香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 手段としての妥当性

香川県ネット・ゲーム依存症対策条例
手段としての妥当性

香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 手段としての妥当性

 いろいろ議論のある香川県ネット・ゲーム依存症対策条例である。

 条例には、市民活動の制限、一律適用、心理的負担、同調圧力といった効力が伴う。
 依存症問題の解決のために、これほどの威力を伴う手段が果たして必要なのだろうか。


 依存症を未然に防ぎ、減らし、無くすことが、結果として、できれば良いのである。

 それを実現させるための手段は多様である。
 条例という手段の長所・短所を理解した上で活用する必要がある。

 言い方は様々であるが、条例という手段を用いて依存症対策を行うことに反対をする意見は多い。


1.市民活動の制限

 条例はもっぱら市民活動を制限することに効力を有する手段である。
 そして、県民全員に周知される。

 努力義務規定であり強制力は無いとしても、それは法律論上での話である。

 社会心理的に見た場合、条例は、県民が知っておくべきルールであり、守るべきルールである。

 法律や条例や習慣を軽んじる人はいるが、一般的には、条例を軽んじるべきでは無いと考えられている。
 努力義務規定であっても、義務の実現に向けて一定の努力はしなければならないのである。
 強制力がない、罰則が無い、だから、守らなくても良いというわけではない。

 コロナの場合は他人にうつるので規制は必要である。しかし、依存症はうつらない。
 依存症は直接的には他人に迷惑をかけない病であるので、強い規制力は必要ではない。

 児童虐待等への解決に向けて、家庭等への干渉に対し、法令等の規制が緩和されつつあるのが昨今である。しかし、依存症は命に係わるものではない。なので、強い規制力は必要ではない。

 依存症という差し迫っていない案件を条例で規制してしまえば、規制事項が多くなり、その多さから個々の規制が埋もれてしまい、本当に重要な他の規制案件に対して市民の心理的切迫感が低くなってしまう。モラルハザードの契機になりかねない。


 条例という手段を講じる際には、真に規制が必要な案件に限定するべきである。そうすることによって、条例規制に敏感になり順法意識が高まるのである。

 目的と手段を適切に見極めるべきである。



2.一律適用

 このような条例を望んだ親はいるのだろうが、望まない親もいるだろう。
 子どもへの指導力に欠ける親はいるのだろうが、適切に子どもに接する親もいるだろう。
 
 指導力に欠ける親にとって、この条例は本当に効果があるのか。
 適切に子どもに接している親にとって、この条例は必要なのか。

 必要な人に、必要なサービスを行うことに意義がある。
 不必要な人に無駄な規制をすることはやめて欲しい。

 規制されたがっている親は、確かに多いのかもしれない。そして、その者たちが主流派であり、条例を成立させた。
 しかし、その人達のために、他者にも同じ規制を施すのは不当である。


3.心理的負担

 1日60分以上ゲームをしている子どもがいる場合、その親は、条例に準拠する教育をしていないことになる。
 条例違反なので罪悪を感じてしまう。社会に対する理論武装(言い訳)が必要になってくる。
 当事者の心理的負担が発生する。

 親が共働きであるため、子どもの面倒を見る時間が少ないので、やむを得ず1日60分以上ゲームをする結果になっている場合もあるだろう。

 言い返す言葉を思いつかない親は、ただ、心理的負担が増すだけだ。

 中には、指導力の足りない親がいるかもしれない。
 しかし、問題の本質は、社会格差にもある。


4.同調圧力

 条例は社会全体の中で同調圧力を推進するチカラを持つ。

 条例に準拠していない案件を認知した場合、それを訴える市民が出てくると想定される。親、子ども、学校などに条例の周知を「親切に」働きかけることになる。

 心ある近隣の者は、条例など有ろうが無かろうが、適切にアドバイスなどを行うであろう。

 条例によって市民が分断されることが懸念される。
 もっとも、分断がなされないように、強力な同調圧力をかけるのではあるが。


次の記事:賛成派の主張