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6月, 2020の投稿を表示しています

パブリックコメントの問題点 東大阪市役所

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パブリックコメントの問題点 東大阪市役所  パブリックコメントの問題点として、よく言われるのが、 同一意見の大量投稿 だ。  大量投稿問題は、かなり前から指摘をされ、啓発されてはきているものの、いまだに社会問題となっている。  2020年の香川県ネット・ゲーム依存症対策条例のパブコメが有名だ。 (参考) ネット・ゲーム依存症対策条例 パブリックコメントの暗闇  パブコメ問題の東大阪市役所版としては、「 パブコメ全体を削除してしまう 」という問題がある。  行政手続法の規定どおりに運用すれば何も問題は無いのであるが、地方独自の運用が可能となっているため、恣意的に、市役所が気に入らない意見が含まれるパブコメは市民の目に触れないよう、(個々の意見ではなく、 パブコメ全体が)無かったことにしてしまっている のである。 1.概要  東大阪市には「 パブコメ公表後、6カ月経過後、その公表をやめることができる 」という趣旨の決まりがある。  この決まりにより市のホームページから完全に削除されたパブコメがある。  他の残りのパブコメは、市の「 結果公表 」のページに掲載され続けている。このため、 気が付かなければ、何も問題はないかのように見える 。  この決まりは一般に公表されておらず、市が、 任意の パブコメの 全体  (一部の意見ではなく、パブコメ全体である) を恣意的に無かったことにできてしまう 。  大阪府庁では、全てのパブコメを一律に概ね3年後にホームページから削除する。  このように全てを平等に取り扱うのであれば、恣意性は無い。  しかし、東大阪市役所では、一部のパブコメだけが削除されてしまうのである。 ● 「 東大阪市第3次総合計画 」 は3層構造になっており、「基本構想」は最上位にあり、「基本計画」中間層、そして「実施計画」は最下位層である。  この 「 東大阪市第3次総合計画 」の「基本構想」や「基本計画」のパブコメは、市のホームページから完全に削除されており、まるで、そのパブコメが無かったかのようになってしまっている。  「実施計画」はパブコメを実施しなかった。 (参考) 保存版 東大阪市役所 削除されたパブリックコメント 第3次総合計画基本構想 市民の声の公表(令和2年度)  に投稿した結果は次のとおりです。 パブリックコメントの削除について ご意見 東大阪市

ネット・ゲーム依存症対策条例 パブリックコメントの暗闇

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追及せよ!  香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 パブコメの暗闇 要旨  パブコメ問題の本質は、 賛成・反対を集計・公表した ことにある。  賛成・反対という集計は、政務調査課職員ではない者からの強力な指示があったものと推測される。 以下、本文  これは香川県ネット・ゲーム依存症対策条例に関する記事です。  香川県 議会事務局 政務調査課が2020年3月17日に発表した「 香川県ネット・ゲーム依存症対策条例(仮称)(素案)について提出されたご意見とそれに対する考え方 」(以下、「考え方」という。)において暗闇がある。 パブコメとは  パブコメとは、正式名称をパブリックコメントと呼ぶ。  パブコメは、公的機関が策定しようとする法令案や計画案に対して、一般市民が意見を書面で述べる制度である。本件の場合は、条例案がパブコメの対象となった。  条例の策定にあたって、役所側(本件の場合、議員側)が、見落とした点や考え方の異なる意見を、一般市民から得ることにより、より一層、質の高い内容にすることが目的である。  これは、意見の内容を重視する制度である。  同一内容の意見は、1個にまとめられる。  意見の多寡を問う制度ではない。  多数派の意見(同一内容の意見)は1個にまとめられるため、少数派が抱く多様な意見を表明するための制度である。  賛成・反対の表明を求めない。  賛成の意見を提出したとしても、そのような意見を基に条例を修正することはあり得ないので、意味は無い。  なので、修正を求める意見だけになるのが一般的である。 大量のパブコメ  本件に対し、大量のパブコメの投稿が行われた模様である。  このこと自体は 不正行為ではない 。 他のどのパブコメでも発生する事象 である。大阪府でもよくある。  事務局としては、いくら送られてきても、(同一内容であれば)1個として処理するだけである。内容が無ければ公表はしない。  一般的には、理由を記載していない賛成・反対だけを表明するパブコメ意見は、事務局で粛々と無視されるだけだ。  しかし、大量パブコメ送信者は、大量に送信した。  しかも、賛成を表明する意見だ。  普通はありえない。  何故だと思う?  それは、この者が、賛成・反対別に集計・公表されることを知っていたからである。  では、何故それを知り得たのか?  集計・公表の仕方に関す

ネット・ゲーム依存症対策条例 賛成派の主張

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論破せよ! 香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 賛成派の主張 要旨  条例賛成派には、病理としての依存症を懸念する声は無い。  本音は、条例を根拠に、子どもをシツケたいだけだ。  多くの親が望んでいるのは、依存症の専門医ではなく、家庭内教育を充実させるための施策だ。 以下、本文  これは香川県ネット・ゲーム依存症対策条例に関する記事です。  条例賛成派は2個のタイプに分かれるようだ。  一方は、条例を推進した議員たち  他方は、その議員を支持する人達  ここでは、 議員を支持する人達 について論じる。  条例に賛成する人達の意見は、パブコメの賛成の欄に記載されている。じっくり読もう。  私なりに、私の魂に賛成派を降臨させた場合、次のような主張をするだろう。 条例なのだから、多くの人たちが議論に参加しており、ほぼほぼ正しいに決まっているし、内容が悪いわけがない。 1日60分しかゲームをさせないことにより、発育の遅れや、人格形成のユガミが生じるわけが無い。 長時間ゲームをさせたことにより、何か優れた能力が身に付くわけがない。 子どもの教育に責任を持たないから、何時間もゲームをすることを認めるような主張をするのだ。 親だからといって科学的知見の全てを正確に理解できるわけがないので、何か指針があって、ある程度納得すれば、それに従えば良い。 1日60分制限は、日常生活上は問題無いし、むしろそれで家族内の日常はうまくいく。夜遅くまで起きていられると、家族として迷惑である。 普通に考えて、子どもが何時間もゲームをやっていれば、親としては「なんか変だな」って思うだろ。 時間制限をするための、権威のある指針があれば良い。家庭内での規律の確立を重視する。  パブコメには、条例賛成派の複数の意見があるが、(まるで同一人物が書いたかのように)論調は1個だけだ。それを代表するのが次の意見だ。 06 家庭内規制に苦労している。行政が規制を設けてくれれば、堂々と「香川県の子どもはだめという決まりがある」と言うことができる。 親としてこれほど心強いものはない。  つまり、「子どものシツケに苦労しているので、そこんとこ、ジョウレイでよろしく!」ってことだ。   病理としての依存症を懸念する声は無い。  身近に、依存症に罹患する者がいないためだろう。  でも、本条例は、病理としての依存症への対策なんで

香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 手段としての妥当性

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香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 手段としての妥当性  いろいろ議論のある香川県ネット・ゲーム依存症対策条例である。  条例には、市民活動の制限、一律適用、心理的負担、同調圧力といった効力が伴う。  依存症問題の解決のために、これほどの威力を伴う手段が果たして必要なのだろうか。  依存症を未然に防ぎ、減らし、無くすことが、結果として、できれば良いのである。  それを実現させるための手段は多様である。  条例という手段の長所・短所を理解した上で活用する必要がある。  言い方は様々であるが、条例という手段を用いて依存症対策を行うことに反対をする意見は多い。 1.市民活動の制限  条例はもっぱら市民活動を制限することに効力を有する手段である。  そして、県民全員に周知される。  努力義務規定であり強制力は無いとしても、それは法律論上での話である。  社会心理的に見た場合、条例は、県民が知っておくべきルールであり、守るべきルールである。  法律や条例や習慣を軽んじる人はいるが、一般的には、条例を軽んじるべきでは無いと考えられている。  努力義務規定であっても、義務の実現に向けて一定の努力はしなければならないのである。  強制力がない、罰則が無い、だから、守らなくても良いというわけではない。  コロナの場合は他人にうつるので規制は必要である。しかし、依存症はうつらない。  依存症は直接的には他人に迷惑をかけない病であるので、強い規制力は必要ではない。  児童虐待等への解決に向けて、家庭等への干渉に対し、法令等の規制が緩和されつつあるのが昨今である。しかし、依存症は命に係わるものではない。なので、強い規制力は必要ではない。  依存症という差し迫っていない案件を条例で規制してしまえば、規制事項が多くなり、その多さから個々の規制が埋もれてしまい、本当に重要な他の規制案件に対して市民の心理的切迫感が低くなってしまう。モラルハザードの契機になりかねない。  条例という手段を講じる際には、真に規制が必要な案件に限定するべきである。そうすることによって、条例規制に敏感になり順法意識が高まるのである。  目的と手段を適切に見極めるべきである。 2.一律適用  このような条例を望んだ親はいるのだろうが、望まない親もいるだろう。  子どもへの指導力に欠ける親はいるのだろうが、適切に子どもに接す

香川県教委 ゲーム条例 1日60分規定に消極的対応

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香川県教育委員会 香川県ネット・ゲーム依存症対策条例  1日60分規定に消極的対応 概要  2020年6月8日(月)、香川県教育委員会義務教育課は、電話への問合せに対し、次の趣旨を回答した。  「 香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 の趣旨は非常に重要であると受け止めており、その趣旨に沿う形で学校教育事業を進める。  条例制定前から行ってきているネット教育「さぬきっ子の約束」を継続・推進していくこととしており、条例で定める1日60分という規制については事業には盛り込まない。」  本条例の周知は子ども政策課がパンフレットを配布する予定である。  このことから、本条例は実効上意味の薄いものとなった。 重要  この記事は、私個人が、一般人という立場で、香川県庁に電話で聞き取った事柄をまとめたものである。  もちろん、私個人として最大限の正確性を図ってはいる。  しかしながら、何らかの間違いがある可能性があるものとしてお読みください。 以下、詳細記事  香川県ネット・ゲーム依存症対策条例が本年(2020年)4月1日に施行されて、三か月が経過した(6月現在)。  三か月も経っているのであるから、推進に向けた何らかの施策が県で進められているであろうと思い、電話で問い合わせた。 第1本目 政務調査課  本条例の制定に係る事項(パブコメ問題など)は、香川県議会事務局 政務調査課が所管する。  本条例の運用は、他の複数の課が担当している。  その担当課の総括は、子ども政策課が行う。 (筆者注釈)本条例の運用の所管は予算書によると次のとおりである。   健康福祉部 障害福祉課   健康福祉部 子ども政策推進局 子ども政策課(施策推進総括窓口)   教育委員会 総務課   教育委員会 義務教育課   教育委員会 生涯学習・文化財課 第2本目 子ども政策課  本条例に係るパンフレットを現在(6月)作成中である。  夏ごろに配付する予定である。県のホームページにも載せる。  保護者向け施策等の学校関連は、教育委員会が詳しく知っている。  下記の義務教育課の対応と合わせ、本パンフにどの程度盛り込まれるのかが注目点になる。 第3本目 教育委員会 総務課 企画・広報グループ  学校関連の詳細は義務教育課に問い合わせてください。 (筆者注釈)   県教育委員会総務課 では「インターネット利用適正化」

香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 まとめ

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香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 まとめ 編集日時:2020年11月9日  この話題は、一般市民が意見を言い易く、公共機関のあり方を考える材料になるため、ここにネット上のサイトをまとめています。  秀逸なサイトへのリンクですので、皆様の本条例への学習にお役立てください。  まず、 問題意識を持とう! お薦め: 2020年3月19日 「県民に信用されない」と専門家指摘 香川県議会ゲーム依存症対策条例成立 制定過程“不透明” KSB瀬戸内海放送 概要、条例 条例制定過程 動画なので分かり易い 条例制定過程-文書記事 香川県庁 県民の声 市民活動 香川県議会 予算・執行機関 弁護士系 有識者の意見 ネトラボ(ITmedia) 賛成等意見 YouTube ネット・ゲーム依存症 私が書いた記事 2020年7月5日  非公開内容を県議会討論で「暴露」 2020年6月21日  追及せよ! パブコメの暗闇   2020年6月20日  論破せよ! 賛成派の主張   2020年6月19日  手段としての妥当性   2020年6月9日  香川県教委 1日60分規定に消極的対応 1.概要、条例など 2020年12月10日  ネット・ゲーム依存予防対策学習シート 「条例でできる?ゲーム依存対策」(くらし☆解説)  NHK 2020年3月18日 「ゲーム1日60分」香川で条例成立、依存症対策議論促す 日本経済新聞  報道の立場から Wikipedia 香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 の全体的な解説 条例:香川県報 令和2年(2020年)3月24日(火)(号外) のページの最下行に掲載されています 条例:香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 PDF 香川県報 令和2年3月24日(火)(号外)  2020/06/05現在、県のHPの 香川県法規集DB に掲載されていないため、こちらを案内しています。 香川県:スマートフォンやゲーム機等の使用の適正化に向けた共通ルール  「さぬきっ子の約束」は条例制定前から行われていた。 ネット・ゲーム依存症に関する条例  一般財団法人 地方自治研究機構 他の県にも類似の条例があるので参考にしよう 「行動嗜癖」の理解のための啓発資料について 文部科学省 2020年3月3日 参議院議員音喜多駿君提出ネット・ゲーム依存症対策に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する

東大阪市が何故ラグビーなのかを考えよう!

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東大阪市が何故ラグビーなのかを考えよう! 東大阪市役所は何故ラグビー事業を行っているのでしょうか  考えようではありませんか! (写真)  上の写真を見てどう感じますか?かわいいですか?親しみやすいですか?  その少年は笑顔で友達っぽく接近してきます。  もちろん、彼はあなたを怖がらせません。  また、あなたに疑いの念や、「何故?」という考えを持たせません。  この少年は子どもがとても好きです。なぜなら、子どもは外部からの影響を受けやすいからです。 (写真)  上の写真は、東大阪市に、世界的に有名なラグビーの試合を誘致するための署名活動です。  確かに、写真にあるように、ある人はラグビーが好きでしょう。  しかし、他の多くの人は、ラグビーではない他の活動が好きなのです。  そのようなことは明らかであり、全ての人々が知っている事実です。  にも拘わらず、東大阪市のホームページはラグビーの記事で満載です。  こういった現象に対して、皆様お願いですから、是非「何故?」という疑問を持って頂きたいのです。 (写真)  上の写真のタイトルは、「ラグビー普及啓発」です。  何故という疑問を持つことは、物事を考える上でとても大事です。  では、1個、疑問を出してみましょう。  何故「普及」であったり、「啓発」であったりするのでしょう?  どこの社会でもそうです。  そのような状態ではないため、そのような普及や啓発をするのです。  では、もう1個、疑問を呈してみましょう。  何故、ラグビーの普及啓発をしなければならないのでしょう?  ラグビーの人達は政治権力が好きなのです。政治や行政を使ってラグビーの普及をしているのです。税金でラグビーをしてるってことです。  ラグビーが大人達の間で既に広まっている、とは信じないでください。  大人は、ラグビーよりも、野球やサッカーのようなスポーツ、又は文化活動の方が好きです。  子どもたちは、東大阪市教育委員会によって、ラグビーファンのひとりに育て上げられています。  東大阪市役所は「どのようにラグビーをするのか」を教えます。  しかし、「何故ラグビーなのか」は教えません。考えさせません。  ある学校の先生は、ラグビーは人間の身体と精神の成長を促す、と答えるかもしれません。  でも、私が聞きたいのは、他の活動との比較においてです。  普通に考えて、

Let’s think why rugby!

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Let’s think about the reason why rugby! We must think!  (Photograph) How do you feel about the above picture? Is he cute? And friendly? The boy comes over with smiley face and friendly action. Of course, he never gets you feel scary. He never gets you have any doubt. And he never gets you think the reason why. He loves children who are easy to be influenced. (Photograph) The above picture shows a scene of signature collecting campaign for inviting a rugby match famous in the world to here HO city. As you know, some people may like rugby. But others prefer other activities. It’s definitely plain and everyone totally knows these facts. However, there are a lot of articles about rugby on the HO city’s website. I strongly hope that you have some doubts about these situation. (Photograph) A title of the above picture on HO website is 'spreading and developing rugby'. Everywhere and everytime, it’s important to have a question of the reason in order to deeply consider any matters. We